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2014年7月9日

手塚治虫さんと「不思議な縁」も 松本零士さん明石時代を語る

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 明石で過ごした幼少期 豊かな自然が感性育む

 「宇宙海賊キャプテンハーロック」などで海外でも有名な漫画家松本零士さん(76)。昨年迎えたデビュー60年を記念し、7月12日から丹波市立植野記念美術館(同市氷上町西中)で始まる「松本零士 秘蔵コレクション展」(神戸新聞社など主催)を前に、漫画やアニメへの情熱、幼少期を過ごした明石の思い出などを聞いた。

「『宇宙戦艦ヤマト』の沖田十三艦長は、父がモデル」と語る松本零士さん=東京都練馬区

 松本さんは1938年、福岡県久留米市生まれ。父は陸軍航空隊の所属で、テストパイロットとして軍用機の生産工場があった明石へ家族で引っ越した。当時3、4歳で「近所の明石公園でよく遊んだ」と懐かしむ。

 デビュー作をはじめ、初期作には昆虫を擬人化した漫画が多いが、「虫好き」の原点は明石時代の自然との触れ合いで培われたという。

 5歳のころ、明石の映画館で鑑賞し、感銘を受けた映画「くもとちゅうりっぷ」(43年)も忘れがたい記憶の一つ。戦時中に制作された貴重な国産アニメは、虫たちが主人公で、デビュー作にも影響を与えた。

▼片道切符

 面白いのは偶然、当時15歳だった手塚治虫さんと、同じ明石の映画館で同じ時間帯、同じ映画を見ていたことがあったらしいこと。「後に分かって2人でびっくりした。手塚さんは劇場で何度も繰り返し見るから、同じ画面をにらんでいたことになる。不思議な縁(えにし)」と語る。

 戦後、北九州市の小倉へ移住。小学時代にも漫画を描いていたが、53年、高校1年のときに投稿した「蜜蜂の冒険」が学童社の「漫画少年」長編漫画新人王を受賞し、デビューを果たした。一家の暮らしは貧しく、高校の学費は漫画の原稿料で賄ったという。

 高校卒業後、漫画家としての成功を夢見て東京へ。「何もかも質屋へ入れ、片道切符で画材だけを持ち夜汽車に乗った。二度と帰れないという覚悟。あそこで旅立つかどうかで運命が決まる」。そのときの心情は、SFの名作「銀河鉄道999」で、宇宙へと旅立つ主人公・星野鉄郎の姿にも託されている。

▼夢追い続け

 上京後、自らの4畳半の下宿暮らしの経験をもとにした「男おいどん」が71年にヒット。その後、設定デザインなどを担当したアニメ「宇宙戦艦ヤマト」や、アニメ化された漫画「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」で70年代後半から80年代に一大ブームを巻き起こした。

 デビューして60年が過ぎた。若き日、下宿で自作のアニメ制作に挑んだこともあるが、セル画が高価で「16秒分しか作れなかった」と苦笑する。

 紫綬褒章やフランスの芸術文化勲章シュバリエを受章し、巨匠・重鎮と呼ばれるが、「いまもまだ無我夢中」と笑う。夢を追う少年の心はまだ息づいているようだ。

          ◇

 同展は8月31日まで。7月21日を除く月曜と同22日休館。漫画の直筆原稿など約200点を展示。一般600円。丹波市立植野記念美術館TEL0795・82・5945

★植野記念美術館ホームページ
「未来への道標 画業60周年記念 松本零士 秘蔵コレクション展」

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